2014年1月


感染

お隣の韓国では、毒性の強い高病原性鳥インフルエンザウイルス(H5N8型)がカモに続きニワトリにも感染し、感染地域も南北に拡大しているとのこと、また中国では鳥から人に感染したH7N9型鳥インフルエンザの死者が23名に達したとのこと… 日本でも先々週あたりから、お弁当や給食など飲食物を介してのノロウイルスによる集団感染が報告される等々… これからの一ヶ月余りは、自分や家族、学校、職場のためにも、様々な“感染”に対して一人ひとりが気をつけたいものですね。

 

 

さて「帯状疱疹」という病気を耳にされた方も多いかと思います。帯状疱疹とは、身体の片側に起きる強い痛みと、痛みがある部分にできる帯状の赤み、ブツブツ、水ぶくれが特徴の病気で、子どもの頃にかかることの多い「水ぼうそう」のウイルスが原因で起こります。発症は幅広い年代でみられますが、患者さんの約70%は50歳以上の方で、80歳までに3人に1人はかかる病気といわれており、その患者数は15年前と比べて約4割も増えているとの報告があるようです。

 

この帯状疱疹の発症のメカニズムですが、新たにウイルスが感染するのではなく、子どもの頃の水ぼうそうの原因ウイルスが、その症状が落ち着いた後でも体内の神経節というところに長年潜み続け、過労や加齢、病気、ストレスなどで免疫力が低下するとまた活動をし始め、神経と皮膚を攻撃して症状を引き起こすとされています。

 

 

治療方法は発疹等の症状が出てから72時間以内に抗ウイルス薬を服用することが大切で、対処が遅れるとウイルスにより神経が傷つき、発疹が治っても神経痛としての痛みが長期間残りやすいとされています。そう思っていても、その症状が、「虫さされ」や「かぶれ」と間違いやすく、病院での受診が遅れるケースが目立つらしいので、その見極めとして、

①皮膚の症状が出る前に(チクチクやピリピリ)という感じがある。 

②皮膚の表面だけでなく奥のほうから痛みを感じる。

などの帯状疱疹の特徴を日頃から押さえておきたいものです。

 

さて、この帯状疱疹ですが、このウイルスに免疫力のない子どもを除いて、人から人への感染はないもの… と、思っていましたが、つい最近、成人の健常者間での感染を確認しました。前田歯科でもそのことを踏まえて、帯状疱疹の院内感染予防について考え直しました。

やはり “いたちごっこ” ですね。感染予防に終わりはないようです。。

 

 

 

 

野蛮

      田中正造
      田中正造

 

 先週の土曜日の夜9時より、NHK土曜ドラマ「足尾から来た女」の前編が放送されました。オリジナルの脚本は日本で最初の公害事件とされた足尾銅山鉱毒事件をもとに書かれたものです。

この事件、1980年(明治23年)、渡良瀬川で起きた大洪水で河川流域の稲が立ち枯れる現象が確認されたことに始まります。この時、被害をいち早く視察、その原因が上流にある足尾銅山から流れ出した鉱毒であることを当時の国会に告発し、その鉱毒反対運動のために自身の一生を捧げたのが政治家・田中正造(1913年・満71歳没)です。

 

 

     新田サチ と 田中正造
     新田サチ と 田中正造

 

ドラマ自体は、1906年(明治39年)発布の政府の政策により、足尾銅山の鉱毒を溜める貯水池として強制廃村を余儀なくされた栃木県谷中村の娘達が、田中正造の仲介で東京在住の社会運動家・福田英子のもとに家政婦として派遣された史実をもとにしたもので、谷中村に住む貧しい農家の娘・新田サチが見知らぬ東京の地で、様々な社会主義者や文豪と交わる中で成長していく姿を描いたものです。

 

 

ドラマの中、「東京の人は、谷中の事なんて誰も心配していないです。」というサチに対して正造は、「都をつくったのは町なんだ。町をつくったのは村なんだ。100軒の家も1軒の家から始まったんだ。その1軒を殺す都は己の首を絞めようなものだ。そんなことをする野蛮国は必ず滅びる!」と言い正します。

 

      サチ と 兄・信吉
      サチ と 兄・信吉

 

そして前編の終盤、強制執行で打ち壊される自分の家の前… その指揮をとる兄・信吉に向かって銅山の閉鎖を訴えるサチに対し兄は、鉄砲の弾を見せながら、「これで俺たちはロシアと戦ったんだ。こいつのおかげで俺たちは勝ったんだ!いいか?これは足尾銅山の銅で作られた弾だ。俺たちが目の敵にしている銅山で採れた銅なんだ。こいつに俺たちは助けられたんだ。」と言い諭します。

 

 

 

先日、2020年東京五輪・パラリンピックの大会組織委員会の会長に就任する森元首相は、小泉元首相が訴えている「原発即時ゼロ」について次のように発言しました。「6年先の五輪のためにはもっと電気が必要だ。今から(原発)ゼロなら、五輪を返上するしかなくなる。世界に対して迷惑をかける」と…

 

さて… 皆さんはどのように思われますか?

 

1908年(明治41年)、政府は谷中村全域を河川地域に指定、1911年(明治44年)、旧谷中村村民の北海道常呂郡サロマベツ原野への移住が開始されました。

 

後編は今週の土曜日です。楽しみです。

 

 

 

 

 

「さとり世代」

     女子バレー優勝・九州文化学院
     女子バレー優勝・九州文化学院
      サッカー優勝・富山第一
      サッカー優勝・富山第一

 

昨日、一昨日の連休はテレビから目が離せなかったですね〜 特に、春の高校バレー女子と高校サッカーの決勝戦は見応えがありました。女子バレーは長崎の九州文化学院が東九州龍谷(大分)に試合開始から2セット連取されながらの粘りの逆転勝ち。サッカーは富山第一(富山)と星陵(石川)の北陸勢同士の戦いでしたが、試合終盤まで2点リードされた富山第一が終了間際に1点差に詰め寄り、アディショナルタイム残り一分でPKで追いつき、続く延長戦を制してこれもまた粘りの逆転勝ちを収めました。

この2試合、偶然にしてはあまりにも出来過ぎ… しかも、熱くなっているのはTVを観戦している親父達ばかりで、戦っている当の本人達は熱くなるどころか、自分たちのやるべきことを合理的に冷静に淡々とこなしている様に感じられたのは、自分だけだったでしょうか。これも、過程よりも結果を重視して動くと言われている「さとり世代」の気質なのかな〜 と思う次第でした。

 

 

 

さて、一昨日の日曜日は自分にとってのゴルフ打ち初め。鹿大歯学部同窓会の理事会のOB仲間との初ラウンドでした。この日は、菜の花マラソンも行われるということで、天候を気にされていた方も多かったと思われましたが、心配されていた雨はほとんど降らず、冬らしい曇天の最高のスポーツ日和となりました。

さあ、今年の打ち初め。「さとり世代」と違って、この日の成績が今年の運を左右しかねない… と、すぐ縁起を担ぎだしたがる困った親父世代達の初ラウンドは、皆さん山あり谷ありの新春に相応しい笑いの絶えないゴルフとなりました。

さてさて、今年も相変わらずのゴルフとなりそうです。「さとり世代」を見習って、高望みせず、ほどほどのスコアを目指せば親父達にも本当の悟りが訪れるかもしれません… ね。 ヽ(*^^*)ノ

 

 

 

一里塚

 

今日から仕事初めの方も多いことかと思われます。また新たな一年が動き始めました。前田歯科も先週の土曜日には全員が元気で出勤し、気持ちも新たにスタート致しました。本年も歯科的サポーターとして、皆様のお口の健康の維持のために努めさせて頂く所存でございます。宜しくお願い致します。

 

『門松は冥土への一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし』

 

新しい年は喜びに満ちた年でありながら、貴重な時間を過ごしてしまい、確実に一歩冥土へ近づいていることを指した句です。構造医学の吉田先生に頂きました。年を重ねる毎にその時間の大切さを身にしみて感じる今日この頃です。時間に繰り越しはありません。一分一秒を大事にしていきたいと思います。(*^-^)